前書き#
前回、この関西旅行記を書き終えてから、自分のブログに文章を書く気力があまり残っていなかった。書いたところで読んでくれる人は少ないだろうし、自分からブログを宣伝するのも少し恥ずかしい。だから、このままやめてしまおうと思っていた。
でも、大学生活も終わりに近づき、これから新しい道を歩き始めることを考えると、何かを書き残しておきたくなった。誰にも読まれなかったとしても、未来の自分が読み返せば、そのときの記憶がまたよみがえるかもしれない。夏の風を感じながら、あの頃の自分がこの記事を書いていたことを思い出せるかもしれない。それも一つの思い出だと思う。
そこで、大学生活についての記事を書き始める前に、ちょうど最近また記憶によみがえってきた作品について書くことにした。三年連続で「このライトノベルがすごい!」の殿堂入りを果たしたライトノベル、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』である。
私が気に入っているキービジュアル:

第1期のアニメの絵柄と、原作ライトノベルの雰囲気が私はとても好きだ。10年代らしい、古すぎるわけでも新しすぎるわけでもない、あの独特の空気がある。
この一枚には、作品への親しみやすさだけでなく、登場人物たちの関係性まで感じられる。その距離感が伝わってくるところも、私がこの絵を好きな理由だ。
高校時代に自分で買ったライトノベルも載せておく。残念ながら、日本語版を全巻そろえることはできなかった。

関連動画と作品紹介#

小学館・ガガガ文庫
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』15周年記念特設サイト
ガガガ文庫15周年の特設サイト。作品が歩んできた軌跡や、各巻のライトノベルの表紙、記念企画を確認できます。
15周年特設サイトを見る
小学館・ガガガ文庫
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』原作特設サイト
ガガガ文庫による原作公式の特設サイトです。
作品公式ページを見る私が好きな第1期のOP。この映像は本当に素晴らしい。
作品情報#
この作品を知らない人のために、まずは簡単に紹介しておく。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日本語タイトル | やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 |
| English title | My Teen Romantic Comedy SNAFU |
| 原作 | 渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 |
| アニメーション制作 | Brain’s Base(第1期)、feel.(第2期・第3期) |
| TVアニメ | 第1期、第2期『続』、第3期『完』 |
| 主な登場人物 | 比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、一色いろは |
このライトノベル全体を貫いている、いくつかのキーワードを挙げてみる。
- 奉仕部
- 本物
- 共存と依存
- 自爆
- その他いろいろ
この作品の魅力#
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は、表面上は青春ラブコメ(Youth Romantic Comedy)である。しかし、この作品が本当に面白いところ、そして三年連続で「このライトノベルがすごい!」の上位に入り続けた理由は、最後に誰と誰が結ばれるかだけではない。
八幡は、問題をきれいに終わらせるためなら、自分を悪者にし、自分を傷つけることさえためらわない。いわゆる「自爆」である。しかし、雪乃も結衣も、八幡にその方法を使い続けてほしいとは思っていない。二人が望んでいるのは、八幡がまた自分を犠牲にして傷つくことではなく、三人で問題に向き合うことだ。そこには、八幡を心配し、大切に思っている気持ちがある。
この作品が書かれた時代は、妹属性やツンデレが大きな存在感を持っていた時期でもあった。渡航さんは、親交のある平坂読さんの『僕は友達が少ない』から何らかの刺激を受けて、この作品を書き始めたのではないかと、私は個人的に想像している。もちろん、これはあくまで私の想像だが、そう考えてしまうほど、この作品の設定と人間関係は魅力的だった。
この作品の魅力は、単純なヒロイン同士の恋愛競争ではない。それでも、三人の性格がはっきりしているからこそ、恋愛ものとして楽しめる部分もある。
雪乃は、気が強くて黒髪のロングヘアが似合う、不器用な人物だ。八幡は、人間関係を見抜く力を持っている一方で、自分を傷つけることで問題を解決しようとする。結衣は、周囲の空気を読み、集団の関係を大切にする、気配りのできる人物である。三人が日常のさまざまな出来事を通して少しずつ関係を変えていくところは、やはり見ていて楽しい。
私は雪乃派だが、第3期で結衣が八幡を手放し、八幡が去ったあとに一人でしゃがみ込んで泣く場面には、誰だって共感してしまうのではないだろうか。
結衣が負けたのは、結衣のせいではない。この世界に八幡が二人存在しなかったせいだ。
この作品のもっとも魅力的なところは、「頭がいいこと」をそのまま長所にせず、「優しいこと」を単純な正解にしないところだ。
八幡は問題の本質を見抜くことに長けているが、いつも自分を一番悪い立場に置こうとする。雪乃は自分の力で何でも解決しようとするが、自分も誰かを必要としていると認めるのが苦手だ。結衣は誰よりも空気を読めるように見えるが、関係を守るために本当の気持ちを隠してしまうことがある。
だから、三人の関係はいつも不安定だった。陽乃からは「共依存」と呼ばれることもある。しかし、平塚先生に、感情は名前を付けた瞬間に無理やり一つの型へはめたくなるものだと諭されたことで、八幡は少しずつ気づいていく。三人の感情は、「共依存」や「友情」や「恋愛」といった一つの言葉だけでは定義できないのだ。
この作品は、普通の学園ラブコメよりも、青春におけるコミュニケーション、孤独、そして自己防衛を描いた長い成長物語に近い。ライトノベルではあるが、渡航さんの文章力と物語を組み立てる力によって、ただ気軽に読んで気分転換するだけの作品にはなっていない。作品の中にある問いを、読者自身も考えながら読むことができる。
誰もが一度くらいは、八幡のように自分の高校時代を自虐したくなるかもしれない。しかし、誰も八幡ではないし、八幡になることもできない。ましてや、八幡と雪乃と結衣が出会い、三人で変わっていくような物語に出会うことも難しい。そんな出来事は、二次元にしか存在しないようにも思える。
もちろん、現実にはもっと不思議なことが起こるのかもしれない。でも、私はまだ出会っていない。だから、今はまだ認めたくない。😭😭
「本物」とは何か#
原作で使われている言葉は、「本物(ほんもの)」である。中国語に訳す場合は別の表現も考えられるが、日本語のまま「本物」と書くほうが、この作品を読む人自身に考えてもらえる余地が残ると思う。
「本物」は、この作品の中でもっとも重要で、しかも一言では説明しにくいキーワードだ。たしか第8巻か第9巻あたりで強く描かれていたと思う。
八幡が求めていた「本物」は、「偽物」と対になるものだった。ここでは、この二つの言葉を簡単に整理してみたい。
偽物:表面的な平和を守るために、お互いに嘘をつき、気を遣い、分かっていることを分からないふりをする関係。表面上は穏やかでも、核心に触れることはない。
本物:お互いに傷つけ合い、理解できない部分があったとしても、それでも理解しようと努力する関係。言葉だけで伝わらないなら、行動で示す。相手の醜さや弱さまで知ってしまっても、衝突や痛みから逃げず、正面から向き合い、そこで関係を断ち切らない。
最初、八幡が考えていた「本物」は、雪乃には理解できなかった。八幡自身も、それを完全には信じられていなかったと思う。言葉で説明できないものを、どうすれば相手に伝え、理解してもらえるのか。
そこに結衣が、「言葉で説明できないなら、行動で示せばいい」と補ってくれた。そのおかげで、あの事件のあと、三人の間にあった空気は少しずつ修復されていった。三人は、いわば短い「蜜月期」を過ごすことになる。
おすすめ#
この作品を単なる派閥争いとして見て、雪乃派か結衣派かを決めることだけを楽しみたいのであれば、私はあまりおすすめしない。見ているうちに、「誰を応援するか」という選択問題になってしまうからだ。
私にとってこの作品は、青春という枠組みの中で、「本物」とは何か、「偽物」とは何かを考える物語である。そのうえで、葉山と八幡を対照的な存在として見ることもできる。葉山は周囲との調和を保つことに長けているが、八幡はその調和の裏側にある問題を見抜く。
そして、物語の中心にいる八幡は、雪乃と同じように、とてもねじれた性格を持っている。二人は他の人々と関わる中で、少しずつ関係を変え、自分自身の性格も変えていく。この作品は、そうした変化をゆっくり描く、少し文芸的で考えさせられる成長物語だと思う。
初めて触れるなら、まずはアニメを見て、自分に合うかどうかを確かめるのがおすすめだ。アニメが気に入ったなら、ぜひライトノベルも読んでほしい。原作のほうがアニメより描写が細かく、登場人物の心理や言葉の裏側をじっくり味わえる。自分自身も考えながら読み進められる作品だ。
この作品を自分の中でどう評価するか。私はこれまで、ライトノベルを五十冊以上読んできたと思う。その中でも、この作品は今も心の中で代わりのない存在だと言える。
まとめ#
この作品を見ると、いつも初めて見た頃の自分を思い出す。当時は理解できなかったこと、まだ何も分かっていなかったこと。それらが、時間が経つにつれて少しずつ分かるようになった気がする。自分も少しは成長したのかもしれない。
でも、成長したからといって、それで何かが解決するわけではない。変わったのは、自分の年齢と、作品を見るときの気持ちだけなのかもしれない。そう考えると、何も分からないままこの作品に夢中になっていた、あの頃の自分のほうが幸せだったのではないかと思うこともある。

